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色々

色々やる所

マインドフルネスでこれまでに失った人生を、トリモロス

いくつか前の記事で、黒猫に効率の良いリラックス方法を教わったという事を書いたのだが、どうやらそれが「マインドフルネス」という瞑想方法と似ているという話を後で聞いて驚いた。

ただ一つの事に集中する状態をマインドフルネスとか念とかいうそうで、仏教の瞑想方法の一種らしく、ストレス低減やら鬱病の治療法の一つとして最近注目されている手法らしい。

自分が行なっているリラックス方法は、今その瞬間の「心地よさ」に全力で集中するという手法なのだが、マインドフルネスは心地よさにだけに特化するのではない。自分が置かれているいかなる状況に対しても区別なくその手法を取り入れる事で、本来の自分を取り戻し、生活の質を安定、向上させることが出来るとされている。

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以前書いた記事のタイトルは、冗談半分で般若心経の「能除一切苦」(一切の苦を除くことが出来る)という一節を書いたのだが、マインドフルネスの考え方が仏教からきているし、いうほど的外れでもなかったようだ。

「様々な情報や状況から受けるもの、それらを一切無視して、床に横になれた心地よさを全力で味わう」

自分が黒猫に教わったリラックス法(黒猫瞑想とでも表現しようか)がマインドフルネスという概念と全く同じだとは言わないが、似ているところは多いと感じている。

黒猫瞑想は休憩を最大限に活用出来る所も嬉しいのだが、マインドフルネスがいうところの「本来の自分を取り戻す」という点も強く実感できている。

まだ訪れてもいない未来の苦しみを現在進行形の苦痛に脳内変換してしまい、自分が気が付かない間に気力が削がれるという事が多かったのだが、それをスパっと切り離すことが出来た。

仕事でも私生活でも、今やるべき一つの事、それに集中できるようになった。

集中力が上がれば作業の効率はあがる。

本来自分が持ち合わせている力の範囲内ではあるだろうが、これまでの落ちぶれた感のある自分と比べると、確実に集中力がブーストしているのが分かる。

ファミコンのやり過ぎで脱毛症になった小学生時代の自分の集中力には敵わないだろうが、少なくともここ数年の無気力感からは公私含めて確実に解放された。

目の前の一点に集中出来ないのは、大人になったからなのかもしれない。

常に先を考えて行動するようになり、要らぬ負担が自分という人間の足枷になっていたのかもしれない。

ここ十年近く、本来の自分が出来ていた事が全く出来ず苦痛の連続だった。瞑想とは別な考え方でそれを補正、補完するような取り組みを自己流で行ない、それなりの成果は出ていたのだが、ここ最近の瞑想体験により、状況はさらに改善されたように思う。

本来の自分を取り戻すことでストレスは緩和され集中力は増し、色んな状況がここ最近で一気に好転した。

瞑想は現実に変化をもたらす。

辛さ、苦しさから逃れるために失ってきたもの、取り戻したくても取り戻せなかったものが一気に自分の手に戻ってきた様な感じがして本当に嬉しい。

という事で、今日の昼休憩は豚汁を作って全力で堪能し、午後の仕事も全力で励みましたとさ。

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