私は、日本の食文化ほど奇妙なものを見た事がありません。もっとも、私は日本という国から出た経験が一度もありませんし、私にとっての「海外」といえば四国か淡路島か、といった次元の話でありますから、日本の食文化以外は知る由もないと言った方が早いでしょうな。一言で言えば、近畿のメシ事情しか知らんのであります。
ところで以前、私のブログでも紹介した事があるスパゲティ・ナポリタンですが、この料理がイタリアには存在しない、という事は皆さんご承知の事かと思います。ケチャップを絡めて炒めるという調理法が、あちらにはないそうです。
ナポリに行ってもナポリタンは喰えません。しかし、本場イタリアの人間が、日本のナポリタンなるスパゲティを喰うと、恐らく殆どの人が「これは何か知らないが、とにかくスパゲッティ、パスタだね」、そう答えるでしょう。
これが、カレーとなると少々事情が違ってくる。これなる食べものは先程のナポリタン同様、我々日本人にとって、子どもから大人まで、誰もが親しみのある食べものであるかと存じますが、インド人にとって見れば日本のカレーは「カレー」ではない、というのです。
7、8年程前になるでしょうか。無人島とファミコンで有名なお笑いコンビが司会を務める番組で、インド人に日本のカレーを喰わせたら、どのような反応が返ってくるのか、という企画をやっていました。
数名のインド人を引き連れて、日本の食堂に案内する訳ですね。そこで、カレーライス、カレーうどんを彼らに食べさせるのです。
皆の反応は次の様でした。
「लेकिन यह एक करी नहीं है।」(コレ、ウマイケド、カレーチャウデ)
「जापानी स्वादिष्ट है」(インドニ、コンナンナイデ。ウマイケド)
私たちが口にしているカレーとは、一体なんなのでしょうか…
和式カレーと呼ぶと、中にはおかしな想像をしてしまう人が現れそうで困りますから、ここはひとまず「日本式カレー」という事にしておきましょう。
私どもの様に、還暦を過ぎますと、日本式カレーというものは、脂が堪えてどうしようもありません。食べた翌日には、胃がもたれて大変でありますから、好んで口にする事は、めっきり減ってしまいました。
ですが、本場インドのカレーは違うそうですな。なんでも、使う脂はごく僅かで、胃や腸、内臓の活動を活発にする様なスパイスが沢山用いられているという話を聞いた事があります。一言でいえば、薬膳ですな。そうなってきますと、インド人達がこぞって、日本式カレーを否定していたのも頷けるところであります。
さて、日本の中華料理屋において、もはや扱っていない店を探す方が難しいとされている、中華丼や天津飯なる食べもの、これらも、本場中国には存在しないそうです。
「中国には存在しない日本の中華料理」
なんとも、私のブログ以上に理解しがたい表現が適切という、実に不可思議な食べものです。
中国に行っても中華丼は喰えない。天津に赴いても、天津飯は喰えない。これは、前川清氏が歌う「東京砂漠」を信じて、砂漠を求めて東京に行ったものの、どこを見ても砂漠が全く見当たらない、という状況と非常によく似ています。
まず、砂漠を求めて鳥取県を無視して東京に行く、などという状況が理解不能でありますし、そもそも「東京砂漠」とは、砂漠を求めて彷徨い歩く状況を描いた歌ではなかったように思います。さらに、中華丼を求めて、わざわざ中国に行く、という話も聞いた事がありません。
そろそろ頭が混乱してまいりましたので、今日の昼飯は中華丼を作って休憩に入りたいと思います。
ジップロックのスクリューのは便利。小クッカーの中に入れて持って来た。中身は白菜、人参、玉葱、ピーマン。
炊飯中にここまで用意したが、まだバーナーが空いていないので炒められない。待機。ちょっと野菜多すぎか…
炊飯の加熱が終了したので、野菜どもを炒めにかかる。途中でウェイパーやらオイスターソースやらを入れた。後に、水も少し加えて煮る感じで数分グツグツやった。
水とき片栗粉を作る。
うずらの卵を入れ、水とき片栗粉を入れて…
出来た!!
野菜は4種しか入ってないので四宝菜? まるで半人前の自分みたいじゃないか…
メシにぶっかけて中華丼。うまかったが、レンゲで喰えばもっと美味く感じただろうな。持って来た野菜は多い様に思えたが、米一合に丁度良い分量だった。手軽だし、これはハマりそうだ。